共生の夢――レオニート・チシコフの宇宙

鴻野わか菜、レオニート・チシコフ

レオニート・チシコフ(1953年生)の創作は、初期から現在に至るまで、多様性の尊重、他者への共感、国や文化を超えた友愛、宇宙への夢という主題で貫かれている。

チシコフは、1953年にウラル山脈の麓の小都市ニージニー・セルギで教師の家に生まれ、本に囲まれて育ち、一人で山に登っては湖のそばで空を眺める夢みがちな子供だったという。(後年制作した《ソリヴェイグ》(2004)は、故郷の湖のそばで夢をめぐらせた作家の幼年時代を主題とする作品である。)

文化統制下ではあったが、兄がモスクワから持ち帰った海外の雑誌で同時代の欧米の美術にも親しみ、医大入学後も美術への夢を持ち続け、風刺画家、挿絵画家として活動を始め、1991年にはモスクワのアライアンス・ギャラリーで初の個展「ダブロイドだけではない」を開催[i]。《ダブロイド》は、人間の足の形をした架空の生物を主人公とする物語で、ドローイング、テクスト、コミック、立体などで構成されているが、一見「異様」な生物をめぐる作品は、その後もチシコフの創作の中にくりかえし登場した。それらの生物は心優しく、平和を愛し、日々の生活につつましい喜びを感じている。彼らをめぐる作品は、自分とは異なる他者を拒絶するのではなく、他者の本質を理解して尊重することの大切さ、世界の多様性のあり方を示唆しているように思える。

チシコフは、故郷ウラルの小さな町で生きて死んでいった自分の母親や祖先に心を寄せ、彼らに捧げるいくつもの作品を制作している。母親を亡くした時には、母親が集めていたボタンを使って、聖母の肖像である《失われた人生の部分から成るイメージの再創造》(2009)を制作した。当初は自分の母親の肖像を作ろうと考えたが、あらゆる人にそれぞれの母親がいることを思い、万人の母としての聖母のイコンを作ろうと思い至ったという。

また、祖先が残した様々な衣服をテープ状に割いて、それを編んで作った着ぐるみの《編み男》(2002)は、アートによって死者を記憶し、新たな命を与える試みだった(この制作方法はウラルの伝統工芸に根ざしており、作家はそれを母から習っている)。同じ方法で作った《祖先の訪問のための手編みの宇宙ロケット》(2010)では、布に編み込まれた祖先たちの魂と共に、不完全な地球を離れて自由で広大な宇宙へ飛び立とうとする。

ソリヴェイグ 2004/2011 RAM Museum Photo: Mario Di Paolo
僕の家を見て ペルミ美術館での2016年の展示
失われた人生の部分から成るイメージの再創造 2009
編み男 2002
祖先の訪問のための手編みの宇宙ロケット 2010/2019 市原湖畔美術館 Photo:長塚秀人

一方、《ウーマニ》(2016)は、第二次世界大戦のさなか、ソ連南部(現ウクライナ)のウーマニでドイツ軍の捕虜となり、収容所で4年近くを過ごした自分の父親を思いながら、戦争で亡くなったあらゆる人々を供養し、記憶するために作られた作品である。チシコフは当時の写真をもとに、何千人もの人々の顔を克明に描いている。その大作ドローイングの脇に置かれた光のオブジェでは、“HUMAN”の最初の文字が点滅して“UMAN”になり、人間性が失われると(ウーマニが象徴するような)戦場が現れることが示唆される[ii]。

チシコフの思いは、ソ連時代に統制下で苦しんだ詩人やアーティストにも及ぶ。《ラドミール》(2007)は、ユートピアや宇宙のヴィジョンを思い描きながら37歳で早逝したロシア未来派の詩人ヴェリミール・フレーブニコフに捧げた作品である。パスタとパンという、どの家庭にもある身近な食品を使ってフレーブニコフが夢みたユートピア都市を制作することで、ユートピアへの扉はどこででも誰にでも見つけうることを示す。

《ロシア宇宙主義者の表彰版》(2019)は、ロシアの宗教哲学者ニコライ・フョードロフ、「宇宙の意識」を追求したカジミール・マレーヴィチなど、宇宙や星の世界を目指した7名の思想家や詩人、アーティストへのオマージュである。月や宇宙に憧れるあらゆる詩人やアーティストは、同じように宇宙を夢みるチシコフにとって同志であり仲間だった。チシコフは、月を主題に制作した様々な作家たち(ジョルジョ・デ・キリコ、ガルシア・ロルカ、フセヴォロト・ネクラーソフ、ウィリアム・ブレイク、種田山頭火など)に捧げる連作を制作している。松尾芭蕉の月を俳句にインスピレーションを受けた《芭蕉の月》(2014)もそのひとつである。

チシコフは、月は人間の友であると語り、月と孤独な男の子が友情を結ぶ絵本も制作している。2003年以降は、光る三日月のオブジェを携えて、北極、ルーマニア、ウクライナ、ロシア、アメリカ、フランスなど数10カ国を旅して写真を撮る《僕の月》プロジェクトを展開。同じ月のオブジェの置かれた世界各国の風景が、国境を超えてつながっていくというコンセプトの作品である。

ウーマニ 2016
ウーマニ 2016
ラドミール 2007/2019 市原湖畔美術館 Photo:長塚秀人
ロシア宇宙主義者の表彰版 2019 市原湖畔美術館 Photo:長塚秀人
芭蕉の月 2014/2019 市原湖畔美術館 Photo:長塚秀人

チシコフは、自伝でも日本の詩歌を引用するほど、青年時代から日本文学に傾倒し、妻で著名な児童文学作家のマリーナ・モスクヴィナと共に日本旅行記も出版している。そうした縁もあって、千葉県市原市の国際芸術祭「いちはらアート×ミックス」には初回から参加し、「瀬戸内国際芸術祭」でも、2019年、2022年に、沙弥島、与島で作品を展開してきた。

2022年の「瀬戸内国際芸術祭」の春会期(4月14日〜5月18日)で展示されている《月への道》は、7つの作品から成る連作インスタレーションで、かつて沙弥島で歌を詠み、月と海に思いを馳せた柿本人麻呂、ちょうど50年前に月に降り立ったアポロ16号の宇宙飛行士、宇宙ロケットを設計し、SF小説を書き、宇宙への道を志向し続けたロシアの宇宙思想家コンスタンチン・ツィオルコフスキー、子供の頃に山上で空を眺め宇宙を思った作家自身、ソ連で死んでいった市井の人々(今は星になって宇宙へ還っていった)などを主題とし、人が国や民族や時代を超えていかに宇宙を夢みてきたかを描き出している。本作は、人はやがて天に還ることを表現した《彼らの家は天にある》(2019)をはじめ、チシコフの様々な作品の要素を受け継ぐ、集大成的なプロジェクトである。かつてスピッツベルゲンの氷山に《僕はまだ生きている》(2010)と光の文字を投影した時に強調された生の主題は、いまや、死後の世界、永遠の生へと置き換わりつつある。

作家は、本作に次のような解説文を寄せている。

レオニート・チシコフ
月への道  2022

古来より星空と月は、神々しい美しさと、到達しがたさによって、人々を惹きつけてきた。そして人は、飛行と月への到達を夢みてきた。この5つのインスタレーションは、その夢がどのように現実のものとなり、永遠に私たちと共にあり続けるかについて物語っている。

Ⅰ.  《雪の天使》は、作家が故郷ウラルで撮影した映像である。彼は雪山に登り、そこから飛び立ち、雪の静寂の中に消えていこうとする。頭上では夜の星が瞬いている。

私の部屋は明るい
夜の星のおかげで。
母はバケツを手に取る
黙って水を運んでくる……

これはロシアの詩人ニコライ・ルプツォフの詩であり、作家の幼年時代と家族の記憶に捧げられた本作と呼応している。

II. 《人類の宇宙への移住》は、哲学者で宇宙主義者(コスミスト)のニコライ・フョードロフに捧げられている。作家は、古い家族のアルバムから故郷のウラルの人々の写真を集めた。彼らはすでにこの世にはいないが、星に姿を変え、宇宙の一部となった。

III. 《KETsの星》 学者コンスタンチン・エドゥアルドヴィチ・ツィオルコフスキーは、宇宙への到達と月への飛行の夢を現実にした人物だった。学校で算数を教えながら、飛行体を発明し、最初の宇宙ロケットの設計図を書いた。そして 未来の人類をめぐる哲学的著作やSF小説を書き、宇宙映画を監修し、絵を描き、発明に勤しんだ。《KETsの星》は、スプレマティズムのオブジェにも似た宇宙ステーションのプロジェクトの名称である。

 IV. 《地球での最後の夜》 2022年4月は、3人のアメリカの宇宙飛行士が月に降り立った「アポロ16号」の飛行(4回目の有人飛行)から50周年である。この宇宙飛行に参加した月着陸船操縦士チャールズ・デュークは、自分の家族の写真を持っていった。このインスタレーションはその出来事に捧げられている。デュークは自分の家族の写真を月の表面に置き、月の土埃の上に置かれた家族写真の写真を撮ったが、それはコンセプチュアルアートの理想的な作品である。インスタレーション《地球での最後の夜》は、自分の家を永遠に見捨てなくてはならなかった宇宙飛行士についての物語である。しかし、この作品は、彼についてだけでなく、自分の家や親しい者を永遠に置き去りにしなくてはならないあらゆる人々について、私たちすべてについての物語でもある。なぜなら私たちは、この地球にほんの短い予定で来たのであり、宇宙が人間の新しい家となるからである。これは、永劫回帰を夢みる人間についての物語である。

V. 《月への階段 あるいは柿本人麻呂の月》は、『万葉集』に収められた偉大な歌人、柿本人麻呂の短歌へのオマージュである。

天の海に雲の波立ち月の舟星の林に漕ぎ隠る見ゆ

かつて沙弥島に来た人麻呂は、浜辺に立ち、海を眺めたが、それから千年近く経つ今も、海はその時と同じように美しく力強い。そしてその時と同じ月が雲間を漂い、私たちは月の舟に乗って永遠の宇宙へ旅立つ。階段を昇って月のそばへ行き、絶えることのない和歌を聞くことができる。月からは宇宙と学校が、緑の丘が、かつて私たちが学校へ通った道が見える。学校は、私たちが学ぶだけではなく、友人を見つけ、恋をして、宇宙への飛行を夢みた場所である。

これら5つの作品は、沙弥島の浜辺にある、現在は閉校となった元沙弥島小・中学校で展示されているが、《月への道》は、さらに与島、鍋島へと続いていく。与島の浦城のバス停には、《月への旅の途中 最終駅》が設置され、宇宙飛行士が座っている。彼はただ一人、月へ向かうためのバスを待っているところだ。

《月への道》の旅の終点は、明治5年にリチャード・ヘンリー・ブラントンの設計によって設置された鍋島灯台である。灯台の内部に設置されたインスタレーション《宇宙の立方体 あるいは 100万の星とひとつの星》は無数の星の光を放ち、灯台の光もまたひとつの星となる。チシコフは、「灯台が放つ赤と緑の細い光線の上に立ち、空へ出れば、波立つ雲のあいだで月の舟が私たちを待っている」と語る。観客はここから宇宙へと旅立つのだという。

『かぜをひいたおつきさま』  徳間書店 2014
僕の月の旅 モスクワ 2003
僕の月の旅 北極 2010
僕の月の旅 北極 2010
僕の月の旅 ニュージーランド 2011
少年と月 僕の月の旅 リヴィウ 2012
僕の月の旅 台湾 2013
教会の庭の僕の月と巡礼 ルーマニア 2015
僕の月の旅 ウラル 2016
僕の月の旅 作曲:ワレンチン・シルヴェストロフ
僕の月の旅 北極 2010
7つの月を探す旅 房総里山芸術祭 いちはらアート×ミックス2020+ 2021
7つの月を探す旅 房総里山芸術祭 いちはらアート×ミックス2020+ 2021
彼らの家は天にある 2019
彼らの家は天にある 2019/2020
僕はまだ生きている 2010
雪の天使(月への道)2022 瀬戸内国際芸術祭
雪の天使
雪の天使(月への道)2022 瀬戸内国際芸術祭
KETsの星(月への道)2022 瀬戸内国際芸術祭
KETsの星(月への道)2022 瀬戸内国際芸術祭
KETsの星(月への道)2022 瀬戸内国際芸術祭
地球での最後の夜(月への道)2022 瀬戸内国際芸術祭
地球での最後の夜(月への道)2022 瀬戸内国際芸術祭
地球での最後の夜(月への道)2022 瀬戸内国際芸術祭
月への階段 あるいは柿本人麻呂の月(月への道)2022 瀬戸内国際芸術祭
月への階段 あるいは柿本人麻呂の月(月への道)2022 瀬戸内国際芸術祭
月への旅の途中 最終駅(月への道)2022 瀬戸内国際芸術祭
鍋島灯台外観
宇宙の立方体 あるいは 100万の星とひとつの星(月への道)2022 瀬戸内国際芸術祭

だが、本作の準備中にロシアのウクライナ侵攻が起こり、作家は深い悲しみの中で、次のようなメッセージを発表した。

芸術の重要な目的の一つは、人々を結びつけることです。私は長年、自分の作品によってこの原理を追求しようとしてきました。私はもう20年以上、自分の月を抱えて地球を旅してきました。同じ月の光に照らされることで、肌の色、民族、宗教の異なる様々な人々の心が結びつくように。目に見える詩である美術作品が、観客のみなさんの心を結んできました。

今年の瀬戸内国際芸術祭で制作する《月への道》という連作インスタレーションでは、人類の宇宙飛行の夢、この夢をかなえるための地球人すべての世界的な兄弟的関係というテーマを追求します。この夢は、空に浮かぶ月のように素晴らしいものです。その夢を壊してはなりません。  

小林一茶の永遠に生き続けるある俳句のことを想起したいと思います。

花の陰 あかの他人は なかりけり

この俳句は、共に桜を見ることで、人々の心が結びつき、親しい存在になることを謳っています。やがて開花する桜が、私たちに平和をもたらしてくれることを、私は痛む胸で心から願っています。

レオニート・チシコフ
2022年3月

チシコフの《月への道》は、彼が初期作品から一貫して表現してきた、他者への共感、死者の追悼、文化を超えた人々のつながりを表現する作品である。故郷ウラルの人々が星となって宇宙へ還る光景を描いた映像作品《人類の宇宙への移住》もまた、あらゆる死者を追悼している。 ソ連の宇宙開発は冷戦期には国家称揚の手段となったが、宇宙への関心や熱中を育んだ文化的背景には、困難な歴史や生活の中でここではないどこかを夢みて宇宙に思いを馳せてきたロシアや各国の詩人やアーティスト、哲学者、音楽家たちの軌跡があった。チシコフはアートと詩によって宇宙を政治から奪還し、万人の故郷として私たちの手に返そうとする。国境も争いもない妙なる宇宙に、地上の夢を託しながら。

[i] レオニート・チシコフの生涯については、以下の文献を参照。鴻野わか菜「レオニート・チシコフの共生のユートピア———「僕の月」、幻想的生物、未来派の夢」『人文社会科学研究』第 28号(千葉大学人文社会科学研究科,2014年)205-217頁.

[ii] チェチェン戦争の悲しみを描いた作品としては、《隙間風の吹くところ(Drafty house)》(2018)を発表。本作については、以下の文献に詳しい。レオニート・チシコフ「様々な年の地域プロジェクト」(生熊源一訳)『Relations』vol.2

鴻野わか菜、レオニート・チシコフ

鴻野わか菜
早稲田大学・教育・総合科学学術院教授。ロシア東欧美術・文化研究。展覧会の企画や監修にも関わる。「夢みる力——未来への飛翔 ロシア現代アートの世界」展(市原湖畔美術館)、「カバコフの夢」(大地の芸術祭)などでキュレーションを行う。共著に『カバコフの夢』(現代企画室)、『イリヤ・カバコフ世界図鑑――絵本と原画』(企画・監修:神奈川県立近代美術館)、『幻のロシア絵本 1920-30年代』(淡交社)ほか。訳書にレオニート・チシコフ『かぜをひいたおつきさま』(徳間書店)など。

 

レオニート・チシコフ
アーティスト、モスクワ芸術家同盟会員。
1953年、旧ソ連スヴェルドロフスク州生まれ。1979年モスクワ医学アカデミー卒業。風刺画家として創作活動を開始し、カナダ、トルコ、イタリアで受賞した。80年代初頭にモスクワ・コンセプチュアリズムと交流を持つ。1990年に出版社Dablusを創設し、アーティストや詩人の限定版の書籍を出版した。1993-97年にDuke University Museum of Art、Block Museum of Art(アメリカ)、Museum of modern Art Sofia Imber(ベネズエラ)、Fargfabriken Contemporary Art Center(ストックホルム)で個展を開催。 シンガポール・ビエンナーレ (2008)、堂島リバービエンナーレ (2009)、第3回モスクワ国際現代美術ビエンナーレ(2009)、クラスノヤルスク美術館ビエンナーレ (2007、2009、2011、2014、2018)、ウラル工業ビエンナーレ (2010、2012)、瀬戸内国際芸術祭(2019、2022)、中房総国際芸術祭いちはらアート×ミックス(2014)、いちはらアート×ミックス2017(2017)、房総里山芸術祭 いちはらアート×ミックス2020+(2021)に参加。Cape Farewellの北極アート・エコロジー探検隊(2010)、「ルーマニアの僕の月」プロジェクト(2015)に参加。小説、詩、戯曲、コミックス、絵本の作者でもある。
https://leonidtishkov.com/

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