《You Purchase Us As but We Are Human Beings》(「你選購我們但我們也是人」2019)
1. 木版画アート・コレクティヴの伝播
2021年夏、新宿にあるインフォショップ、イレギュラー・リズム・アサイラム(Irregular Rhythm Asylum、以下IRA)から、広島、台湾、香港、中国、マレーシア、インドネシア、スイス、ドイツのアート・コレクティヴに向けてコロナ禍での連帯を示すために木版画作品が送られた。〈反戦・反核・アートコレクティヴA3BC(Anti-War, Anti-Nuke, Arts of Block Print Collective、以下A3BC)〉は、IRAを拠点に木版画の集団制作をしており、国内外の各地域にあるDIY文化圏のスペースやコレクティヴと交流してきた。この2年間ソーシャルメディアでの交流ばかりで直接的なやりとりをしたいということでA3BCが上記の郵送プロジェクトを行なったのである。ここでいうDIY文化とは、反戦、反核、フェミニズム、環境保護、動物の権利への連帯など、レコーディングからグラフィック・デザイン、ツアー企画、ZINE制作など、資本の力から影響を受けずに自主自律の空間を作ろうとする文化である。すなわち、権威主義や新自由主義的なシステムや価値観を批判する非暴力の直接行動を音楽やアートを通して仲間と実践することが重視されており、ヒエラルキーを排した相互扶助の関係性を理念としている。
A3BCは、東日本大震災後の2014年に東南アジアの木版画アート・コレクティヴの活動に刺激を受けて結成され、筆者は設立当初から活動に参加してきた。そこで参与観察しながら、トランスナショナルなネットワークや人びとの交流が広がり、新しい木版画コレクティヴやリサーチプロジェクトが展開されるのを見てきた。本稿では東アジアと東南アジアに広がる「DIY文化と木版画アート・コレクティヴ」がどのような広がりを見せているのか紹介していきたい。アーティストやさまざまなバックグラウンドを持つ人々が自己組織化したアート・コレクティヴを形成して社会的実践を行うスタイルは、とりわけ東南アジアでは非常にポピュラーで広く浸透している。アート・ワールドにおいても、2022年6月から開催されるドクメンタ15のディレクターにインドネシアのコレクティヴ、ルアンルパが選出されるなど近年アート・コレクティヴの存在感は増すばかりである。本稿では、アート・コレクティヴについて詳細に検討することはできない。そのためひとまずアート・コレクティヴ(art collective)を、アーティスト、アクティヴィスト、リサーチャーなど多種多様なバックグラウンドを持つ人びとが同じような批判的視点や社会に対する姿勢をある程度共有した集団と定義し、論を進めていく。
木版画に関して言えば、福岡アジア美術館とアーツ前橋で開かれた美術展『闇に刻む光 アジアの木版画運動1930s-2010s』(2019)が、アジアの各地域で木版画をメディアにアート・アクティヴィズムの実践をしてきた個人や集団を一挙に紹介し展示したことが記憶に新しい。本展示では、1930年代に中国の魯迅が広げた木刻運動、1980年に起きた韓国の光州事件を内部から描いた「五月版画」、日本で1940年代末から60年代にかけて盛り上がった「戦後版画運動」、DIY(Do it Yourself)あるいはDIT(Do it Together)文化で木版画を制作する2010年代の東南アジアのアート・コレクティヴが幅広く取り上げられた。
この2010年代以降拡大しているDIY文化圏の木版画アート・コレクティヴでは、それ以前とは遥かに異なるスケールで文化交流がなされている。ローカルでは、生活と社会に接近したアクティヴィズムの形態として木版画制作が実践され、グローバルではアジアの文化圏にまたがる相互扶助と連帯の精神が共有され、それぞれの文化と政治の反映・循環が起こっている。
2. 東南アジアの木版画コレクティヴの影響
DIY文化の影響を受けた木版画アート・コレクティヴは、現在わかっているだけでもインドネシア、マレーシア、フィリピン、香港、台湾、中国、韓国、日本の都市や郊外に存在する。各拠点でグローバル資本主義が絡む環境破壊や再開発に対する抵抗や、ジェンダーや移民などマイノリティのアドボカシーなどの課題にアクションをしている。90年代末に、インドネシアのタリン・パディ(Taring Padi、1998、ジョグジャカルタ)とパンク・バンドのマージナル(Marjinal、1997、ジャカルタ)が長期に渡るスハルト独裁政権の崩壊と民主化の時期にパンクバンドを結成し音楽と木版画をメディアにした活動で人びとを勇気づけてきた。
その影響でマレーシアのサバではパンクロック・スゥラップ(Pangrok Sulap、2010、以下PS)が、インドネシアのバリではデンパサール・コレクティフ(Denpasar Kolektif、2010)が活動を開始した。PSはマレーシア、サバ州にあるキナバル山の麓ラナウで結成された木版画のアート・コレクティヴで、マージナルに影響を受けて彼らを招待したワークショップ以降本格的に木版画制作を始めた。PSにとって初の海外展示は2013年よりPSをリサーチしていた徳永理彩がIRAで企画し開催した「パンクロック・スゥラップ版画ポスター展」である[1]。その後、PSはあいちトリエンナーレ2019や黄金町バザールに招聘されるなど日本とは縁が深く、国際的なアート・シーンでも活躍の場を広げている。
デンパサール・コレクティフは、2010年にバリで設立された、コミュニティの連帯にフォーカスして多様な社会政治的な運動を展開するコレクティヴである。パンクロックのギグ、フードバンク、ピクニック、映画上映会、ディスカッショングループ、コミュニティ・マーケット、プリントワークショップなどのイベントの他、パンク音楽のディストリビューション、ポッドキャスト、ZINEライブラリーも運営している[2]。活動の種類と参加者が多く常に流動的なメンバーだが、各人の参加度合いや関心に沿って主体的に活動ができる仕組みを構築している[3]。デンパサール・コレクティフは2013年からベノワ湾埋め立てで環境破壊が起きていたリゾート開発に抵抗するバリ島市民のデモに関わり、木版画やリノカットなどプリントを駆使してポスターやTシャツを制作し市民と共闘してきた。
日本では、タリン・パディ、パンクロック・スゥラップ、マージナルの活動を設立時のメンバーが知ったことがきっかけで、A3BCが結成された。結成時は、安保法案や憲法改正、震災後の反原発のデモで使えるバナーやプラカード、Tシャツ、旗の制作を行いながら、反戦と反核をテーマにした大型の作品を集団制作していた。活動拠点であるIRA以外でも、反原発運動や沖縄辺野古基地建設に反対するテント、ライブハウス、日本の各都市や郊外にあるDIY文化圏のオルタナティヴ・スペースなどで、ワークショップやトークイベントを開催してきた。最近では、反戦、反核にこだわらずオリンピックなど政府の腐敗への批判や、グローバルな社会運動への連帯を示す作品も多数手がけている。そして世界で広がりつつある木版画コレクティヴとも積極的に交流してきた。
3. 東アジアに広がる木版画コレクティヴの隆盛
それでは、東南アジアと日本の木版画アート・コレクティヴのつながりが、どのように台湾、香港、中国での木版画アート・コレクティヴの誕生につながっていったのだろうか。大きな契機として、東京を中心に日本で自主自律のDIY文化空間を運営する人や、支える人たち(パンクス、ミュージシャン、アーティスト、学生、労働者、リサーチャーなど)が協力しあって開催した大イベント「NO LIMIT 東京自治区」があった[4]。このイベントは、高円寺で〈リサイクルショップ素人の乱〉を運営している松本哉の呼びかけで、東京にあるIRA、気流舎、かけこみ亭、カフェ・ラバンデリア、マヌケゲストハウス、なんとかBARといったDIY文化のスペースが協力しあい、中央線沿線のライブハウスやストリートを会場に、1週間毎日、ライブ、ワークショップ、レクチャー、上映会、デモを同時多発的に行うものだった。アジア圏の友人同士の交流を活性化することを目的としたこのイベントでは、海外からの参加者には宿泊施設(マヌケゲストハウス)と食事(なんとかBAR)が提供され、イベントに無料で参加できる特別パスポートが発行された。
その結果、それまで親交を深めてきた東アジア圏内のオルタナティヴ・スペースに出入りする人たちが続々と押し寄せ、各会場のライブやイベントは連日大盛況となった。IRAで開催されたA3BCの木版画ワークショップも、タトゥー職人、アーティスト、パンクバンド、デザイナー、都市養蜂家、ZINE制作者(ジンスタ)など、アジアやヨーロッパの各都市から集まった人でごった返し、賑やかな催しとなった。このイベントで木版画制作の楽しさに目覚めた人たちが、ワークショップの手法を含めて木版画コレクティヴの活動形態のアイディアを持ち帰り、それが各地でコレクティヴが設立されるきっかけになったのである[5]。以下、2017年以降に結成された台湾、中国にあるいくつかの木版画コレクティヴについて紹介したい。
◇台湾の印刻部(Print&Carve Department)は、2019年にタリン・パディやA3BC、1930年代の社会主義リアリズムの影響を受けてコレクティヴ活動を開始した。2021年まで活動拠点だった「愁城(Trapped Citizen)」は「Do it Together(DIT)」を掲げてパンクロックのギグやイベントを開いており、パンクスやアクティヴィストが集まるスペースになっている。印刻部はそこの地下1階のスペースで定期的に活動をしていたが、現在は展覧会やライブパフォーマンスも行うカフェの北風社に移って活動を続けている。印刻部は、移民労働者の支援組織TIWA(台湾国際労工協会)と協働して、シェルターにいる移民労働者にインタビューを行いながら彼らの物語を記録する木版画を制作するなど地域の課題にも取り組んでいる(下図)。また印刻部とA3BCはメンバーがお互いの活動拠点を訪ねたり、タリン・パディと協働制作をするなど国際交流も盛んにしている。
◇中国〈木刻波流〉(Woodcut Wavement)は、広州、深圳、上海各地で流動的なメンバーによってワークショップやプロジェクトを開催し木版画を制作している[6]。木刻波流を結成したイ・ファンは、2019年にギャラリーで開かれたA3BCのワークショップとトークイベントに参加し、その手法を中国に持ち帰って木版画コレクティヴを始めた。彼らが障がい者の舞踊団体とのワークショップで生み出した作品は、後半で紹介するアジアの木版画ネットワークをテーマにしたZINE(下図)の表紙になっている。この版画は視覚障がい者のワークショップ参加者が触覚のみで彫った作品で、これらのワークショップの作品を集めたZINEを制作するなど自主出版も手がけている[7]。他にも深圳のインフォショップで「私たちはパレスチナをサポートします」というワークショップを企画し、参加者とドキュメンタリー映画を鑑賞して難民に連帯を示す木版画制作を行うといったグローバルな社会的課題について対話を通して理解を深めるアートプロジェクトも行っている。
◇刺紙(Prickly Paper、広州)は、2019年に美術大学を卒業したアーティストのフェイ・フォンとイ・ウェイがオルタナティヴな表現メディアとしてハンドメイドの自費出版を推進する目的で始めたコレクティヴである[8]。彼らはプロのアーティストで、展示のために制作したZINEに木版画を取り入れたことも偶然だったという。彼らはこれまで見てきたDIY文化圏のコミュニティとは異なるアーティストだが、自分で作るメディアと自己組織化を個人の実践にどうつなげていくかに関心を持っており、知識や情報をシェアして資本主義のロジックとは異なる資源として木版画を捉えている。展覧会で自己表現の方法としての「手作り本の作り方」のワークショップを開催したところ好評だったことがきっかけで中国の各都市でワークショップを開催するようになった。刺紙は、木版画で制作したZINEで生理や更年期など個人的な物語をテーマにし、中国の都市化の進展に伴って変化する個人の主体的な思考のアウトプットをしている。
4. クリスティー・ウンへのメールインタビュー:木版画コレクティヴのネットワークに関するZINEの出版と展覧会の企画
このようなトランスナショナルな広がりについて、拙稿では東南アジアの木版画コレクティヴから影響を受けたA3BCの活動実態を考察し、ヨーロッパで新しい木版画コレクティヴが誕生して国を越えて広がりつつあることに言及した[9]。この論文が2017年に英語でオンラインジャーナルに掲載されてからいくつか動きがあった。一つは「木刻波流」の設立者が拙稿を読んで来日し、A3BCのワークショップに参加してコレクティヴ活動を開始したこと。そして、それまで交流のあった香港でアートスペース活化廳(ウーファーテン)を運営していた李俊峰(リー・チュンフォン)から、東アジアの木版画コレクティヴのリサーチプロジェクト始めたいと上海で声をかけられたことだった。さらに李俊峰に再会した2018年の暮れに、IRAが台湾で開催された「Seven Questions For Asia」展の一画をキュレーションし、アジアのDIY文化の木版画コレクティヴの交流について紹介した[10]。この展示に出品された集団制作の作品が香港や台湾のデビュー作品で、その後それぞれコレクティヴ名を確定させて活動をするようになった。筆者も台湾でこの展覧会を鑑賞し台湾のコレクティヴを訪ねているが、その後木版画コレクティヴ相互の交流は、ますます活発になっている。
それから間もなく李俊峰はパートナーでインディペンデント・キュレーターのクリスティ・ウン(Krystie Ng)、当時の大学の同僚で中国の木版画研究をしている李丁(リー・ディン)とZINE制作のプロジェクトを立ち上げ、筆者と元印刻部メンバーで、エディター、ジャーナリスト、プリントメーカーの陳韋綸(ウィリー・チェン)が執筆者に加わった。ZINEは2019年に中国語と英語のバイリンガルで出版され現在3号まで出版されている。
ZINE第1号の出版後、クリスティー・ウンは東アジアと東南アジアの木版画アート・コレクティヴの交流をテーマにした展覧会をマレーシアで企画した。「カービング・リアリティ:東アジアの現代木版画交流展(Carving Reality Contemporary Woodcut Exchange Exhibition from East Asia)」は、クアラルンプールのゾンシャン・ビルディング(The Zhongshan Building)という現代アートギャラリーのバックルームと中庭で開催された[11]。2020年11月7日から12月6日の1ヶ月間、個人で木版画を制作している11人の作家と、6組のアート・コレクティヴ(A3BC、デンパサール・コレクティフ、パンクロック・スゥラップ、印刻部、プリントハウ、タリン・パディ)が参加した。
A3BCでも出品依頼を受けた当初、メンバー全員でマレーシアへの渡航を楽しみにしていたが、残念ながらコロナが猛威を振るっており実現できなかった。展示期間中はオンラインツアーとオンライントークイベント(パンクロック・スゥラップ、A3BC、印刻部が登壇)が開催された。筆者もオンラインツアーで鑑賞したが、とくに中庭に展示された大型のバナー作品は圧巻の見応えだった。
東アジアと東南アジアの木版画アート・コレクティヴを集めた展覧会を企画した意図や背景について、ここからはクリスティ・ウンへの筆者によるメールインタビューを翻訳して紹介する。
Q1. 展覧会の図録「An Outline of the Development of Social Realist Woodcuts in Malaysia」の論稿でマレーシアの木版画の歴史を知り非常に興味深かったです。今回マレーシアで展覧会を開催することになった経緯にも関連しているのでしょうか。他の国や都市ではなく、マレーシア/クアラルンプールという場所を選んだ理由は何ですか?
マレーシアのクアラルンプールで「カービング・リアリティ」を開催しようと思ったのには、いくつか理由があります。最初のアイデアは、最初の木版画ZINEを出版した後、当時私はまだ台湾に留学しており、休暇をとってクアラルンプールに戻った時に思いつきました。ある日ゾンシャン・ビルディングを訪れ(ちなみに私は台湾留学前にゾンシャン・ビルディングのオーナーと仕事をしていました)、ゾンシャン・ビルディングの中庭は、私たちが知っている木版画集団が作った巨大なバナー作品を吊るすのにとても適していると思いました。そこで、オーナーにこのアイデアを提案し、そこで木版画展を開催する可能性を探ることになりました。
マレーシアのアートシーンは、長い間コマーシャルギャラリーが中心で、主に造形的な作品や絵画を扱ってきました。その意味で、版画の性質上、アートマーケットの中で宣伝されるのは絶望的な未来です。近年、私はオルタナティヴなアプローチ、オルタナティヴな戦略の普及に努めており、木版画や版画を地元の観客に普及させることも重要な側面です。言うまでもなく、社会的リアリズムの木版画は、「ハイアート」と比較すれば、より親しみやすい形式と言えるでしょう。なぜなら、そのメッセージは非常に関連性が高く、具体的であるため、芸術家ではない観客にとっても理解しやすいからです。
また、マレーシアでは芸術文化交流はあまり盛んではありません。海外の文化機関がそれを行っているのは、それが彼らの組織の性質であり、リソースがあるからですが、このような交流は、地元の機関やアーティスト・コレクターには興味もリソースもないことなのです。もし、海外の栄養素を持ち込むのであればどのようなメニューやレシピで人々に提供するのかということがポイントになります。そこで、インターアジアの木版画グループによる「インターアジア」のコンセプトから派生して、展覧会を企画する際にも、異なる国同士の理解や交流を強調し、地域の関係や連帯を構築することを期待していました。
とりわけ、「カーヴィング・リアリティ」をマレーシアで開催しようと考えたのは、上記のようなマレーシアの芸術発展の現状に対する私の観察、考察に基づいているのです。また、私はマレーシア人であるため、他の国よりも自国のプロジェクト助成金を申請しやすく、助成金を得たこともマレーシアで展覧会を実現させる理由となりました。
Q2. マレーシアでの展示会にはどのような人が来場し、どのようなコメント、反応、レビューがありましたか?
バックルーム(ゾンシャン・ビルディングのギャラリーの一室)を選んだもうひとつの理由は、このスペースが非常に活気のある多様なアートの拠点にあり、言い換えればランダムに人々が展覧会に立ち寄ってくれるからです。例えば、パン屋さんでブランチを食べた人が展覧会に立ち寄るというように、一般的には歩いて来る人が多いですね。
また、アーティスト、キュレーター、建築家、デザイナー、海外の文化機関に勤める人たちもたくさん来てくれました。感想としては、プリントのメッセージ性が強いという点で、多くの来場者が展覧会を楽しんでくれたようで、中にはトピックにとても共感してくれた人もいました。「木版画はとてもひたむきで素晴らしい」と、その芸術性を評価する声も聞かれました。版画のサイズが非常に大きく、展示が充実しており、圧倒されるようなインスタレーションであることにも感心されたようです。最後に、今回の展示はある意味で目からウロコです。というのも、非常に小さなスペースに、6カ国から合計17のアーティストを紹介したからです。この展覧会を開催するにあたって、私は冗談で「4カ国語(北京語、広東語、マレー語、英語)まで話さないといけないのが大変なんです!」と言ったことがあります。
版画の多くが非常に手頃な価格で販売されていることを考えると(彼らの多くはアマチュアアーティストで、販売を主目的として参加しているわけではないので)、版画(現在はアートワークとして扱われています)を集めることは、関連するテーマを支援するジェスチャーとしてだけではなく、コレクティヴの素晴らしい仕事を継続するために役立つ収益ともなるため、有意義なことだと思います。これは、この展覧会が来場者にも歓迎され、認知されていることの証明にもなるのではないでしょうか?
Q3. 木版画に関連したアート・コレクティヴのリサーチのきっかけと、展覧会に参加した人たちとどのように結びついたのか聞かせてください。
インターアジア木版画マッピンググループ(Inter-Asia Woodcut Mapping Group)を始めたきっかけは、木版画と、社会介入・関与プロジェクトにおけるアートの役割という共通の関心からでした[12]。李俊峰さんは東アジアのアート・アクティヴィストと長い間つながっていて、そうした現象の社会的背景について書いていましたし、李丁さんは中国における木版画の歴史と反歴史の研究、そして私は共同プロジェクトと芸術と政治に関心を持っていました(FIELDジャーナルでA3BCの記事を読んでファンになりました。台北とドゥマゲテ島でお会いして、どれだけ緊張したか忘れてしまったでしょうね)。
2019年のことですが、私たち3人は台湾の同じ研究機関で学んでいて、プロジェクト助成の公募があったので、何人かで並んで提案書を提出しました。もちろん、メディアとしての木版画、各国の木版画の歴史、木版画コレクティヴの活動の社会的背景など、議論できることはたくさんありました。好奇心とネットワークの拡大を背景に、私たちは第2号、第3号の制作を続け、今では年1回の発行になりつつあります。
このグループは、私だけが編集者でも担当者でもなく、数人でいつも議論しています。これは、支配を避け、個人の注意を引くと同時に、各人の長所を集め、同じプロジェクトで成功するために良い方法です。例えば、ファンと李丁はある問題に対して常に深い理解を示すことができますし、私はプロジェクトの遂行に長けているかもしれません。そうすると、今のところ本当にいいチームになっています。
インターアジア木版画マッピンググループのメンバーだけでなく、私たちが調査し、インタビューし、木版画ZINEのために招待した木版画コレクティヴと一緒にグループを作ることは、実際とても簡単で自然なことでした。また、「カービング・リアリティ」や「特殊性と普遍性」の展示に招待した参加者とも同じようなケースになります[13]。これは、私たちが、ミクロの歴史を記録するための代替手段として、また、社会から疎外されたコミュニティを支援するために、木版画を成功させ、普及させようと考えており、このオルタナティヴなネットワークを築くことによって、差別、不公平、不平等をなくそうと願っているからだと思うのですが、いかがでしょうか。ここ数年は渡航制限があり、一緒に活動している人たちを訪ねる機会はあまりありませんが、ソーシャルメディアを通じて、オンラインで連絡を取り合っています。
Q4. 木版画コレクティヴのリサーチプロジェクトを通じて、あなたが最も興味を持ったことは何ですか?
私は商業的なバックグラウンドを持ち、オークションハウスや商業ギャラリーで数年間働いていましたが、私がサービスを提供していた人々は氷山の一角に過ぎないということに気づきました。
私はまず、パブリックアート、公共彫刻、ストリートパフォーマンス、アートフェスティバル、従来の美術空間の外で行われるアートの形態などに注目しはじめました。そして、新ジャンルのパブリックアート、参加型、対話型美学、関係性の美学など、プロセスベースで人々を中心とし、芸術作品の制作に明確な目的を持たない芸術概念に出会い、これらの概念と私が最もよく知る環境、マレーシアで見られる社会実践を関連づけるようになりました。西洋の理論や経験だけで、ローカルな文脈の社会的実践を理解し、分析しようとするのは特異なことです。そこで私は、伝統的な「共に働く」形態の可能性についても研究し、「ゴトン・ロヨン」がマレーシア(そして東南アジアの他の地域でも)の社会的実践に影響を与える重要な概念であることを発見したのです。
このように、私はこの憂鬱な社会状況の中で、代替策を見出すことに耽溺してきました。例えば、マレーシア社会における最大の問題は、前世紀にイギリスがマレーシアを含む植民地に対して行った「分割統治」にまでさかのぼることができる民族関係であり、独立後60年以上経過した現在でも、現政府は同じ古いルールを使っています。私は、人々が共に働くという形式を見ることで、例えば異なる民族の人々がアートを通じて信頼と理解を深め、人々の間で代替モデルを形成するなど、ボトムアップのアプローチで異なる背景を持つ人々の橋渡しの可能性を探ろうとしていたのです。つまり、ランシエールが「芸術の政治学」と名付けたように、芸術はいかにして政治を生み出すことができるかということです。
この場合、木版画は、社会芸術の実践という大きな枠組みの中で私が研究しているメディアに過ぎず、特に私たちが見ている木版画のコレクティヴは、そのようなものです。特に、木版画は多くの美術知識や技術を必要としないことは、誰もが認めるところでしょう。この意味で、私は木版画が民衆のメディアとして機能し、最終的にはこれらのマテリアルが民衆の微小な歴史を記録することも評価しています。
Q5. ZINEの制作やキュレーション、リサーチにも熱心だと思いますが、ZINEの制作とキュレーション、リサーチの関係についてはどのようにお考えですか? また、ZINEはあなたにとってどのように重要で、どのように面白いのでしょうか?
私はマッピングや出版プロジェクトに興味を持っていますが、それは私たちが共有すべき良いもの、重要なものを持っていると思うからです。例えば、私たちが最初のZINEを出版した理由は、アジアにおける木版画集団のネットワークをより多くの人に知ってもらいたいからですが、当時は実際にこの件に関する議論やその他の資料をまとめている人はいませんでした。
私は力関係に敏感で、以前は地図を作ったり出版したりできるのは、権力を持っていて、人に聞いてもらいたいことを発言する資源を持っている人たちだと気づくようになりました。私はいつも、「私たちは何も持っていない人たちだから、どんなに小さくても、どんなに弱くても、見てもらい、聴いてもらう方法を見つけなければならない」と言って、自分をおだててきました。
ですから、私にとってリサーチとは、自分たちが興味を持っていることをより深く理解し、理論化するための方法であり、知識の生産プロセスのようなものです。そして、展覧会のキュレーションやZINEの出版は、リサーチしたものを発表し、広めるための方法なのです。私にとっては、これらの作業はつながっていて、同じように重要です。だからこそ、非常に多忙な日々の仕事の中でも、時間を見つけてはこれらの作業を統合しているのです。
インタビュー後記
今回、クリスティーには香港での展示準備の直前のインタビューにもかかわらず、快く引き受けてくれたことに改めて感謝したい。この東アジアのネットワークの促進剤、潤滑油となるような取り組みとして、ワークショップ、ZINE、トークイベントなどの発表、展覧会、オンラインミーティング、コレクティヴ同士のコラボレーションなどがある。今回のインタビューでは、マレーシアのアートシーンの現状とクリスティーの問題意識について聞くことができたが、インターアジア木版画マッピンググループのZINEには、各国の木版画と美術、あるいは社会運動との関係性について独自に掘り下げたインタビューや記事が収められている。ご関心のある方には、現在3号をIRAもしくは筆者の手売りで販売中なのでぜひお声かけいただき手にとっていただきたい。また、5月1日より東京藝術大学陳列館で、A3BCの結成当時から現在に至るまでの主要な作品を展示している。8日にはワークショップを予定している。この機会に木版画の集団制作の楽しさをぜひ体験してみてほしい。
【緊急企画】 不和のアート:芸術と民主主義(The Arts of Dissent: Art and Democracy)
開催期間:2022年5月1日(日)-5月10日(火)10:00-17:00(最終入館は閉館の30分前) ・会期中無休
会場:東京藝術大学上野校地 大学美術館 陳列館1階
Special Thanks to:
クリスティー・ウン、李俊峰、印刻部、Yi Huang
[1] Irregular Rhythm Asylumブログ「パンクロック・スゥラップ(Pangrok Sulap)版画ポスター展」2014年10月19日
[2] Gilang Propagila, “The Fluidity of Participation: Visual Notes on Denpasar Kolektif”, Inter-Asia-Self-Organized Woodcut Collectives Mapping SeriesⅡ: Collaboration, Authorship and the Capital, 2020, pp.26-28
[3] 前掲書
[4] 筆者は企画運営会議に参加し、A3BCのワークショップ以外にも広報のために韓国のDIY文化のスペースへのポスター配布やイベント運営などにスタッフとして参加した。
[5] 李俊峰は、本稿の4で述べているZINE第1号で「NO LIMIT 東京自治区」とA3BCのワークショップが東アジアの木版画コレクティヴ結成に与えた影響について考察している。
[6] Yi Huang, 筆者によるメールインタビュー、2021年6月18日
[7] 中国では自費出版の書籍は禁止されているためZINEは「アートブック」という建前でアートブックフェアやインフォショップで流通している。そのことが「手作り本」のワークショップを企画した社会背景になっている。
[8] 以下、Prickly Paperの記述についてはPrickly Paper interview by Krystie Ng and Lee Chun Fung, 15.9.2021 オンラインインタビューを参照した(このインタビュー記事は「インターアジア自主自律木版画コレクティヴ・マッピングシリーズ」のZINE第3号に掲載されている)。
[9] 狩野愛「トランスローカルなDIYアート・コレクティブー木版画をメディアにしたA3BCの事例研究ー」武蔵野美術大学紀要(47)、2016年3月
[10] Seven Questions For Asia of the Kuandu Biennale 成田圭祐は、IRAで交流のあるタリン・パディ、パンクロック・スゥラップとA3BC、いたずらNU☆MAN、コレクティヴ名ができる前の香港と台湾で集団制作された作品などを展示した。
[12] クリスティー・ウン、李俊峰、李丁、陳韋綸、筆者が現在のメンバーとなっている。
[13]「特殊性と普遍性」は2022年7月に開催予定である。
静岡大学・情報学部 助教
メディア文化研究。ロンドン大学ゴールドスミスカレッジ(MA in Culture Industry)修了。東京藝術大学大学院芸術環境創造領域博士後期課程修了(博士・学術)。東京藝術大学国際藝術創造研究科助手を経て現職。アーティスト、市民、アート・コレクティヴによるアートとメディアを軸にしたアクティヴィズムのネットワークやコミュニティの編成について批評活動をしている。「トランスローカルなDIYアート・コレクティブ―木版画をメディアにしたA3BCの事例研究」『武蔵野美術大学研究紀要』第47号、2016年、「バイオテクノロジーとアートをめぐる文化潮流―クリティカル・アート・アンサンブルの事例として」『GA Journal 国際芸術創造研究科論集』第1号、2020年など。