COVID-19・ひとり空間・都市

南後由和

「アパートメントハウス」 外観:8㎡程のワンルーム8つで構成した一人暮らし向けアパート。暮らしが都市や環境とともにあり、そのことが家にいても感じられる空間を考えた。©髙橋一平建築事務所

本特集について

RELATIONS第8号の特集のテーマは「COVID-19・ひとり空間・都市」である。

イギリスの経済学者・作家であるノリーナ・ハーツは、21世紀を「孤独の世紀」と呼ぶ(『The Lonely Century――なぜ私たちは「孤独」なのか』藤原朝子訳、ダイヤモンド社、2021)。調査ごとに孤独の定義や尺度は異なるものの、COVID-19以前から、ヨーロッパ、北米、アジアの国々において、孤独を感じている人びとの割合が増加していることを示す調査データが数多く出ている。2018年のイギリスに続き、2021年には日本でも孤独・孤立対策大臣が設置された。

ただし、孤独は21世紀に限った問題ではない。そもそも孤独は都市化や近代化と分かち難く結びついたものとしてあり続けてきた。それに対し、現代の孤独をめぐる状況は、性や結婚をめぐる規範意識の変化、高齢化、緊縮財政と格差拡大、ソーシャルメディアの浸透など、複合的な要因が絡み合ったものとしてある。これら複合的な要因の源はどこにあるのか。それを個人の努力や競争、自助を推奨する、1980年代以降のネオリベラリズムとするのが、ハーツの見立てだ。

ところで、“一人“という言葉は、残酷である。一という数字は、さまざまな差異を覆い隠してしまうからだ。“一人“には、若者もいれば、高齢者もいれば、ホームレスもいる。若者、高齢者、ホームレスもそれぞれ一括りにはできない。これらの差異を、統計の数字でもある“一人“という言葉は見えなくしてしまう。

「ひとり」が置かれている社会的文脈は、国や時代によって異なる。そして、「ひとり」が身を置く「ひとり空間」は、家族や組織のあり方、性や結婚をめぐる価値観、働き方、経済状況、パブリックとプライヴェートをめぐる境界意識などが複雑に絡み合いながら立ち現われている。それはソーシャルメディアをはじめとする情報化など、世界の国々に共通するグローバルな事象と、それぞれの国や地域に固有のローカルな事象が絡み合ったものとしてある。

COVID-19以前から先進国の都市において増加傾向を見せている「ひとり」をめぐる空間的な現われは、パンデミックによってどのような変貌を遂げたのか(あるいは遂げなかったのか)。本特集では、日本のみならず、海外の都市の事例を取り上げることで、この問いに迫ることを狙いとしている。ここからは、本特集に掲載した3つの記事について簡単な解説をしておきたい。

1つ目は、Canadian Center for Architecture(カナダ建築センター、以下CCA)のジョヴァンナ・ボラーシらによる論考“When We Live Alone”である。モントリオールを拠点とする建築博物館かつ研究機関であるCCAは、世界各国の建築家の図面や模型などの一次資料の収集とアーカイヴ、展覧会のキュレーション、出版などの活動に加え、建築の専門家以外の人びとへ向けたアウトリーチにも積極的に取り組んでいる。2019年からはドキュメンタリー映画シリーズの制作も手掛けるようになった。美術館や映画館のみならず、動画配信サイトやソーシャルメディアなどのさまざまなプラットフォームを通じて配信可能な形態を採用することで、より広範な人びとへ建築をめぐる情報を伝達しようと試みている。

今回の論考では、東京を舞台としたドキュメンタリー映画When We Live Alone(2020)のリサーチと制作の過程で得られた知見をもとに、世界の主要都市で増加している単身者を含む、さまざまなタイプの「ひとり」の背後にある社会の変化を多面的に析出している。そのうえで、それら社会の変化が都市や建築にどのような影響を及ぼしうるのかを考察している。

CCAのアプローチは、建築を社会の変化が反映されたものであると同時に、未来を予兆するものとして捉えようとする点に特徴がある。その際、複数の個別具体的な兆候から、何らかのまとまりを見出し、この先の建築が辿りうる道筋を照らし出そうとする。CCAがドキュメンタリー映画という形式を採用した理由もここにある。というのも、映画では、時間と場所を異にするさまざまな登場人物が置かれている状況の総体を、モノや空間と関連づけながら多声的に描き出すことができるからだ。

When We Live Aloneには、東京の「ひとり空間」について語る社会学者(筆者)、上京後に転職を視野に入れながらカプセルホテルで働く未婚の女性、「ひとり」がともに集まって暮らす新たな建築を設計した建築家とその建築の住人たち、ひとり暮らし向けの衣服・家具・食などを必要な時にワンストップで提供する企業のビジネスマン、結婚しているがあえて別々の家に住むことを選んだ妻などが登場する。社会的文脈の異なる多種多様な「ひとり」と、その「ひとり」が身を置く「ひとり空間」が差異を保ちながらつなぎ合わすことで、東京という都市における「ひとり空間」の多面性を立体的に浮かび上がらせようとしている。

この映画では、「ひとり空間」に関するこの先の住まいのあり方について考えることに資する事例として、建築家の髙橋一平が設計した「アパートメントハウス」(2018)が登場する。2階建て6室からなる「アパートメントハウス」は、それぞれの室にユニットバスやシステムキッチンのような設備は完備していない。だからといって、専有部を狭くして共用部を広くする、一般的なシェアハウスのような構成をとっているわけでもない。それぞれの室は、ワンルームマンションにありがちな設備は不足している代わりに、キッチンが充実していたり、バスルームが豪華だったりと、都市生活を営むうえでの何らかのテーマに沿った設備=「断片」が強化されている。それにより、たとえば料理や食事会をする際に、お互いの室を行き来するように使うこと、すなわち、住人たちがひとり同士の集まり方の組み合わせを自在にアレンジしていくことが期待されている。

1人1室という空間モデルを書き替えようとする「アパートメントハウス」には、1室のなかで機能や設備を取り揃える「足し算」ではなく「引き算」、集合住宅全体としては、互いの室の「断片」をつなぎ合わせる「掛け算」の発想が見られる。「掛け算」の範囲は、集合住宅内部にとどまらない。というのも、「アパートメントハウス」に住む都市生活者には、学校、職場、カフェなどを移動しながら、それらの「断片」をネットワーク的につなぎ合わせて使いこなしていくライフスタイルが想定されているからだ。

「アパートメントハウス」内観:バスタブのある明るい温室のような部屋。お風呂を中心とした優雅な暮らしを家で楽しむために、街から帰ってくる家。©髙橋一平建築事務所
「アパートメントハウス」 ドローイング:皆それぞれ家に求めることは様々であり、個性的な部屋が集まっている。時々お互いに訪ね合うことで、より豊かな生活になる。©髙橋一平建築事務所

この点に呼応するように、When We Live Aloneの映像のなかで、「ひとり空間」はピクセルや粒子のような処理を施され、一時的な凝固を繰り返し、流体的に姿かたちを変えていく。またカプセルホテルのブースの開口部、電車、飲食店、コンビニなどの扉が次々と連なり、チューブや道の経路のような、ひと続きの空間が生まれている。

都市に生活する「ひとり」にとっての“家”とは住宅内部にとどまるものではなく、電車をはじめとする移動のプロセス上、イギリスの社会学者ジョン・アーリの言葉を借りれば「中間空間」――移動によって生み出される、家/仕事/余暇・社交の合間にある空間――に広がっている(ジョン・アーリ『モビリティーズ――移動の社会学』吉原直樹・伊藤嘉高訳、作品社、2015)。When We Live Aloneの映像は、この中間空間が「ひとり空間」化している様を鮮やかに描いている。

ただし、COVID-19のパンデミックを受けて、自宅で過ごす時間が増え、外出が制約されるようになると、諸機能を外部依存することで維持されてきた都市における住宅のあり方の脆弱性が露わとなった。その一方で、リモートワークの増加は、オフィス用途のスペースを住宅内部に設ける動きを促した。半屋外の広いバルコニーや中庭を有する住宅への需要が高まるようにもなった。このように現在、かつては住宅外部にあった機能の(住宅への)内部化という流れが加速することで、都市との関係における住宅機能の内部化と外部化の動きがせめぎ合っている。

2つ目は、イギリスの作家・キュレーターのシュモン・バザールへのメール・インタヴュー“Q&A on The Extreme Self”である。バザールは、2019年にトロント現代美術館とドバイのジャミール・アート・センターで開催された“Age of You”展を、ダグラス・クープランドとハンス・ウルリッヒ・オブリストと共同キュレーションした。このメール・インタヴューでは、同展を書籍化したThe Extreme Self(2021)の内容を中心に、デジタル技術やソーシャルメディアが「ひとり」を取り巻く状況に与えている影響について話を聞いた。

3つの表情を持った絵文字の顔が、マトリョーシカのように入れ子になった表紙が印象的な同書は、バザールが「本の文法とスクリーンの文法のあいだの対話」と呼ぶ、新しいタイプのグラフィック・ノベルとして位置づけられるものだ。データ上の“私”、ロボットやAIとの境界、労働や民主主義の行方など、「自分(self)」をめぐる刺激的な図版と短いフレーズのアフォリズムが並ぶ。ハンディサイズの本ということもあり、ページをスムーズにめくることができ、これらの図版やアフォリズムが次々と目に飛び込んでくる。画像とアフォリズムが滑らかに連なっていくページ構成は、本の紙に書かれた文字や図版を読む感覚と、スマホのスクリーンに映し出された文字や画像を見る感覚が入り混じったような読書体験へと誘う。

3つ目は、都市体験のデザインスタジオfor Cities(石川由佳子・杉田真理子)による論考「Lonely Public――“ひとりぼっちの公共”を比較する」である。for Citiesは、ITの「リポジトリ(分散型バージョン管理システム)」という仕組みに着想を得ながら、都市のさまざまなテーマや課題をめぐって、お互いの知恵を借り合い、新しい活動の種を作っていく試みを展開している。たとえば、誰もが都市づくりのアイデアを持ち寄り、交換できる“forcities.org”というオンラインデータベースや、特定のテーマに対するプロジェクトアイデアの募集をして展示会や企業・行政との協働などにつなげていく“キャンペーン”などである。その活動範囲は、国内外問わないが、アジアやアフリカなどの非西洋地域に光が当てられているのが特徴だ。

今回の記事では、2021年のキャンペーンのひとつである“Lonely Public(ひとりぼっちの公共)”というテーマについて、主に4組のアーバニストの取り組みをもとに紹介している。一見、相反するかのように見えるLonelyとPublicのあいだを架橋するテーマを設定したところに妙がある。それにより、COVID-19で「ひとり」でいることを強いられた世界において、一人ひとりがそれぞれの居場所を見出しながらも、いかに他者とのつながりを再構築しうるかの具体的な知恵を交換するとともに、それぞれの国における孤独や「ひとり空間」のあり方を比較し相対化することを可能にしている。

なかでもコソボの研究機関Space Syntakが“Lonely Public”というテーマを「公共空間での安全性の担保」として捉えたという話は興味深い。「ひとり空間」の維持には、日本が比較的そうであるように、女性や子どもが「ひとり」でいても安全であるというセキュリティの確保が条件のひとつとなっていることがわかる。

日本の都市には、カプセルホテル、半個室型ラーメン店、ひとりカラオケ、ひとり焼肉店など、「ひとり空間」の種類や数が豊富にある。ただし、それらの多くが物理的な間仕切りを有する課金空間、すなわち、利用にあたってお金を支払う商業空間であることが特徴である。本特集が、このような日本の都市における「ひとり空間」のあり方を相対化するとともに、ソーシャルメディアをはじめとする情報化やCOVID-19などを背景とした「ひとり空間」の増殖や変容という世界で同時進行する事象への理解の一助となればと願っている。

南後由和

明治大学・情報コミュニケーション学部 准教授

社会学、都市・建築論。主な著書に『ひとり空間の都市論』(ちくま新書、2018)、『商業空間は何の夢を見たか』(共著、平凡社、2016)、『建築の際』(編、平凡社、2015)、『磯崎新建築論集第7巻 建築のキュレーション』(岩波書店,2013),『モール化する都市と社会』,(NTT出版,2013),『榮久庵憲司とGKの世界』(世田谷美術館,2013),『路上と観察をめぐる表現史』(フィルムアート社,2013)『文化人とは何か?』(共編、東京書籍、2010)、『メタボリズムの未来都市展』(新建築社,2011)ほか
http://www.nango-lab.jp/

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